Interview
兼原 佑汰
Creative Direction by Maehara Takahiro,
Interview & Writing by Ishida Tetsuhiro,
Content Editing by Hayashida Mika,
Photography by Tano Eichi
2025.10.30
安く、早く、で終わらせない。丸井グループのDXが向き合う内製化の“本質”とは
Creative Direction by Maehara Takahiro,
Interview & Writing by Ishida Tetsuhiro,
Content Editing by Hayashida Mika,
Photography by Tano Eichi
2025.10.30

Profile

兼原 佑汰
株式会社Muture 執行役員 CPO / 株式会社マルイユナイト CPO
いま、大企業におけるデザイン・開発組織の内製化が加速している。
しかしながら“DX”の旗のもとに掲げられる効率化の掛け声とは裏腹に、実際の現場では分業構造の壁に阻まれ、変革が思うように進まないケースも多い。
なぜ、これほどまでに大企業のDXは難しいのだろうか。
1931年創業の丸井グループ。その中心で、この課題に正面から取り組み、全社的なDXをリードしてきた人物がいる。株式会社Mutureと株式会社マルイユナイト、二社のCPO(Chief Product Officer)を担う兼原佑汰だ。
小売とフィンテックを主軸に、人気アニメやゲームといったIP(知的財産)とのコラボレーションカードを次々に展開する同社では、毎月膨大なLP制作に追われ、外部委託中心の体制が社内リソースを圧迫していた。
その状況を変えたのが「自分たちの手でLPをつくり、学び、改善する」──内製化のDXだった。Studioの導入によって制作期間は52%短縮、コストは80%削減。しかし、DXの本質は「最新ツールを導入して効率化することでも、コストカットでもない」と、旗振り役だった兼原は語る。
だとすれば何なのか。それは会社で働く人のキャリアと納得感であり、人間としての尊厳なのだと。
丸井グループのDXという一見華々しい舞台の裏で何が起きていたのか。本稿は、巨大な組織のなかで一人ひとりの「感情」に向き合ってきた、ひとりのCPOの思索と実践の記録である。

01 / 06
DXの本丸は、人間の感情とキャリアに向き合うこと
制作期間を52%短縮、コストを80%削減。
「エポスカードLP内製化プロジェクト」は、数字だけを見れば、誰もが認める成功だった。
しかし、その中心にいた兼原は、意外なほど悩ましい表情を浮かべていた。
「5人チームで手一杯だった作業が、最新ツールの導入により3人で可能になった。それは素晴らしいことです。でも、本当に重要なのはここからです。圧縮された時間と、浮いた2人月のリソースを、我々は何に使うのか。この問いこそが、DXの“本丸”だと僕は思っているんです」
これまでチームは、「LPをスケジュール通りに公開する」というアウトプットに全精力を注いできた。だが、効率化によって時間と余白が生まれた今、考えなければならない。「本当に向き合うべき課題は何なのだろうか」と。
兼原が目指したのは、アウトプットの先にある「アウトカム」の追求だった。サイトに来てくれたお客様は、価値を感じてくれているのか。もっと魅力的に伝えるには、どう改善すればいいのか。仮説を立て、検証し、顧客との対話を重ねていく。
それは人間を単純作業から解放し、本来やるべきもっと重要な「創造的な仕事」へとシフトさせることを意味する。だが、ここでまた新たな問いが生まれる。

効率化の先にある「創造的な仕事」とは、一体何なのか?
それは、働く一人ひとりに何をもたらすのか?
従来のDXがブラックボックス化しがちだった問いに、兼原は踏み込む。最終的にDXが向き合うべきなのは、最新ツールの導入でも、システムやプロセスの導入でもない。そこで働く一人ひとりのキャリアであり、自分が今その仕事に身を投じていることへの「納得感」なのだ、と。
「突き詰めて考えれば、それは『人間の尊厳』の話なのかもしれないと思っているんです。
丸井グループで働く優秀な方々が、人生の貴重な時間を機械的な作業に投じ続けなくてはいけない状況が、僕は本当にもったいないと感じていて。
だから、効率化で生まれた時間を創造的な仕事に使うことで、もっと仕事が面白いと感じてほしいですし、最終的には一人ひとりが納得感を持って働けるようになってほしい。
僕が自信をもって『丸井グループのDXを進めましょう!』と口にする裏側には『この施策で皆さんの未来が明るくなるはずだから、僕を信じてほしい』というメッセージ、そして一人ひとりのキャリアへの責任を感じているんです」
DXのプロセスを通じて、メンバーが取り組む仕事の社会的意義、あるいは市場価値が上がっていくこと。そうした働く一人ひとりの人間の尊厳や感情に目を向けることこそが、本来DX推進が目指すべきことではないか、と兼原は自らの根幹について語る。

02 / 06
「対話の文化」のDXというコンセプト
そんな気概を持って始まったプロジェクトだが、丸井グループの歴史を紐解くと、とある興味深い背景が見えてきた。同社は1931年の創業初期から、「小売」と「金融」を融合した、進取の気性を持つ企業だったのだ。
創業当初は、高額だった家具を収入が少ない若年層にも購入してもらえるよう、購入代金を一時的に貸与し、それを月々の分割払いで返済してもらう「月賦販売」をいち早く導入。戦後はクレジットカードと衣類販売ビジネスで「ファッションの丸井」と呼ばれるようになった。
その歩みは顧客と対話しながら時代のニーズを的確に捉える、共創の歴史そのものだったという。
しかし、顧客との対話と共創を軸に発展してきたはずの丸井グループは、デジタル化以降、非対面コミュニケーションが重要になる現代のビジネス環境に適応するのが困難になっていた。とりわけ、顧客のフィードバックを得て改善していく、アジャイルなものづくりの文化がうまく機能しなくなっていたという。
その背景には、階層型の決裁フロー、縦割り組織、ウォーターフォールの開発体制、お客様や現場との乖離など、大企業ならではの課題があった。
そんなある日、丸井グループ代表の青井浩とグッドパッチ代表の土屋尚史が出会い、意気投合。「丸井グループをデジタル化するために共同で会社を作りましょう」と立ち上がったのが、両者のジョイントベンチャー「株式会社Muture」だった。

そしてCPOとしてMutureに参画し、丸井グループの歴史を知った兼原が掲げたのが「対話の文化」をDXするというコンセプトだった。
「お客様のフィードバックを得て改善していく文化は、丸井グループには生まれたときからずっと根付いているものでした。デジタルスキルがない、やり方がわからないという以前に、そもそもそういった姿勢を大切にするDNAが、この会社にはありました」
問題なのは、ツールやスキルセットの欠如ではない。丸井グループが本来持つ最大の武器である「対話の文化」を、いかにしてデジタルの世界で再接続できるか。
この「対話の文化」のDXというコンセプトは、その後の取り組みを貫く羅針盤となった。

03 / 06
中の人にならなければ、変えられない。
マルイユナイト設立まで
対話の文化をデジタル上で実現するため、顧客との距離を縮める──その最初の一手として兼原が選んだのは、やりたいことを試せる“特区”のような実験的なプロジェクトを立ち上げること、そして事業部間の多重構造にメスを入れることだった。
「まず浮かんだ課題は、事業を考えるビジネスオーナーと、顧客の距離があまりにも遠すぎることでした。
事業部門がアイデアを考えて、開発部門が要件定義を行い、デザインの部署に渡され、それが外部の協力業者に発注されていく……以前の丸井グループは、そんな幾重にもわたる層がありました。この階層を減らさなければ、顧客の声が反映されるプロダクトづくりは難しいと思ったんです」
実験的なプロジェクトで、多重構造をなくした開発体制を小規模に試してみる。そこで挙がったリアルな現場の声を経営層が向き合うべき全社的なアジェンダとして引き上げ、議論のテーブルに乗せていく。その結果、向かうべき方向性が見えてきた。
「新しい会社を立ち上げ、デジタル人材の中途採用も本格化させ、お客様を中心としたものづくりができるデジタルカンパニーを丸井グループの中に作る必要がある」
そして2024年10月、丸井グループ内に新たな組織が設立される。外部のジョイントベンチャーであるMutureのような「支援者」ではなく、デジタル変革を内部から推進するための専門家集団「株式会社マルイユナイト」だ。
「ここから先は中にいる人たちが自分の力で変わっていくしかない。そのために、僕自身も丸井グループの中に入って、内側から変えていく必要があると考えました」
この頃から、もともと顧客と対話できる環境構築を目指してはじまった「対話の文化」のDXというコンセプトは、次第に社内のメンバー同士の「対話」を生み出す組織づくりへとスコープを広げていったとも言えるだろう。

04 / 06
DXが引き起こす、
組織の「抵抗」に向き合う
マルイユナイトCPOに就任し、丸井グループの「中の人」となった兼原。そこで「いかに組織内で抵抗や反発を受けず、DXを進められるか」という問いに向き合うこととなる。
「いきなりシステムや業務フローを大きく変えると反発を受けるので、ここでもまずは小さく変える領域を絞り込みました。マルイユナイトのCTOと一緒に、丸井グループが保有するサービス群をすべて洗い出したんです。
どこまでが基幹システムを変えなければならないのか、どこからであればノーコードやローコードツールで小さく変えていけるのか。その境界線を見極めることから始めました」
ビジネス上のインパクトが大きく、かつレガシーな基幹システムから切り離せる領域はどこか。検討を重ねた結果、浮かび上がったのがエポスカードの新規入会につながるIPコラボレーションのLPの制作負荷という課題だった。
金融収益が大きな割合を占める丸井グループにとって、カードの新規入会は事業インパクトが高い。
そして、そのLPの多くはログインを伴わない「静的なサイト」。技術的には、何十年もかけて複雑化した基幹システムから切り離して、独立してモダンなシステムに変えていくことが可能だ。Studioの導入が検討に挙がったのも、この段階だったという。
しかし、ここでさらに抵抗や反発を想定して慎重に進める。
全体に大きな影響がなかったとしても、歴史ある組織の中で新しいツールを導入し、長年続いた仕事のやり方を変えることは、並大抵のことではない。そこで兼原は真正面から「変えるべきだ」と議論を交わすのではなく、まずは“誰もが納得できる根拠”をつくることに注力した。そのための方法が“数字”だった。
「まず、いくつかのカード券面のLP制作をStudioで完結させる試験的なプロジェクトを立ち上げました。『これはあくまで実験ですので、その結果をもって判断しましょうか』と。成果が出るなら全面的に採用するし、出ないならやめる。そのための情報を集めるのが、このプロジェクトの目的でした」
結果は、誰の目にも明らかだった。従来、平均44日かかっていた制作期間は半分以下に短縮。外部の制作会社に支払っていたコストは80%削減、人員体制も半分以下で回せる見込みが立った。
「これだけ明らかな数字的エビデンスがあるときに、否定できる人は誰もいないじゃないですか」
経営的な意思決定の土台は整った。だが、ロジックだけでは人の心は動かない。新しい取り組みを前に、現場との対話がいっそう求められた。

05 / 06
自走するチームと「2人目に踊る人」
「なぜ企画やディレクターを担ってきた我々が、制作に関わらなければいけないのか」。
そうした声が上がることも、兼原は想定していた。新しいツールへの戸惑いというより、長く積み重ねてきた仕事への誇りから生まれる、ごく自然な感情だと理解していたからだ。
これまで上流工程を担ってきたという自負。全体を俯瞰し、外部の制作者を管理することが役割だという意識。ノーコードツールで自分でページを構築する行為は、彼らが築き上げてきたキャリアの前提を揺さぶるものでもある。
圧倒的な数字というロジックと、根深い感情の間にある溝は深い。
そこで兼原は、若手中心のStudioを使うチームを編成。従来の業務に理解がある担当者をアサインしながら、地道に事例づくりを続けた。「若手担当者でもツールを使いこなして工数を大幅に圧縮できた」という成功事例をつくりあげたら、それを突破口に組織全体へと新しい常識を広げていく。
ただし、マルイユナイトは丸井グループの中にいるメンバーの常識や思考、方法論を変えて「自走するチーム」をつくりだすことがミッションだ。デジタル上で自分たちが提供している価値をきちんと考えて、その価値を最大化するために自発的に改善活動を行える状態にしていく。
だが、会社内で少人数で孤立して新たな取組を進めるのは困難が伴う。ここで有名なリーダーシップ論の動画になぞらえて兼原が語るのは、「2人目に踊る人」の重要性だ。
「1人だけ『やるぞ』と思っている人がいたとしても、孤立した環境に置かれると、周りがついてこなくてすぐに潰れてしまうんです。から、必ずそれをバックアップしてくれる『2人目に踊る人』がいないとダメなんです」
最初の1人が踊り始めても、それはただの「おかしな人」に過ぎない。しかし、2人目が加わり、一緒に楽しそうに踊り始めた瞬間、その行為は「みんなで参加すべきムーブメント」へと変わる。
「僕は1人目をアサインすることも大事ですが、それ以上に『2人目を意図的にアサインする』ことを意識しています。そのために普段の会話や、何気ない飲み会の場でも『この人は、何に関心があるんだろう』と一人ひとりの適性や興味の方向性を見ていて。
『この人なら新しいことに面白がって乗ってくれそうだ』という1人目が見つかったら、その人に合わせた最高の2人目を考える。組織変革の成否は、この組み合わせで決まると言っても過言ではありません」

06 / 06
摩擦を恐れない。
一人ひとりの未来とキャリアに向き合うDX
こうして生まれた小さなチームは、やがて組織全体を巻き込むうねりとなっていった。
権限を委譲し、チームのオーナーシップを育むことで、かつて顧客との「対話」を強みにしていた丸井グループのDNAを、デジタルの世界で実現していくことが少しずつ可能になってきた。
「ただ、全体の構想で言えば、まだ10%ぐらいしか進んでいません。
LP制作という“点”での成果は出ましたが、ここから先は基幹システムが関わる部分や、さらなる組織面への介入など、より複雑な“面”での変革があります。これまでとは質の違う問題が待ち受けているでしょう」
兼原には、DXや効率化という表面上の言葉に収まらない、働く一人ひとりの感情への眼差しとリスペクトがある。変化の旗を掲げる立場でありながら、時には厳しい判断を下す。それは働く個人の未来やキャリアに対しても責任を持とうとする、リーダーとしての覚悟の現れでもある。

「思いつきで何かを始めて、『頑張ったけど成果が出ませんでした』と疲弊させるのは“悪い摩擦”だと思います。
一方で、短期的には大変なことがあっても、それがお客様への価値提供に繋がり、明確なビジネス効果を生むなら、その過程で生まれるのは“良い摩擦”です。
何もせずに現状維持が楽ではありますが、僕は自分が働く人たちの感情と向き合いながら、自信を持って説明していくことを大事にしたいと思います」
みんなが「納得感」を持って働ける会社へ。
丸井グループの変革は始まったばかりだ。

baigie inc.
兼原 佑汰(Kanehara Yuta)
株式会社Muture 執行役員 CPO / 株式会社マルイユナイト CPO
ソフトウェアエンジニアとしてキャリアをスタートし、コンシューマー向けサービスやグローバルプラットフォームの開発を担当。その後プロダクトマネージャーとしてOMOプラットフォームやSaaSプロダクトの全体責任者を経て、MutureおよびマルイユナイトCPOに就任。
