STUDIOStudio

ログイン / 新規登録 

ログイン / 新規登録

Back

Interview

工藤 駿

2026.04.10

後戻りできないプレッシャーを、あえて背負う。アートディレクター工藤駿が35歳で法人化した理由

2026.4.10

写真:窓際の棚と観葉植物に囲まれ、デスクに向かう工藤さんの横顔

Profile

写真:工藤さんのプロフィールカット。

工藤 駿

Art Director / Graphic Designer

『クレヨンしんちゃん』と、秋田・埼玉・熊本の伝統産業。これらを一つのブランドに仕立てた「CRAYON SHINCHAN JAPAN CRAFTS」の公式サイトが、Studio Design Award 2025(以下、SDA 2025)でBronze Awardを受賞した。

主人公・野原しんのすけの家族が暮らす埼玉県、母・みさえの出身地である熊本県、父・ひろしの出身地である秋田県。三県の伝統産業や紋様としんちゃんたちを組み合わせ、工芸からアパレル、グッズまで幅広く展開するユニークな取り組みだ。

国民的IPをうまく活用しながら、同時に伝統工芸の品格を保つ。本サイト制作に携わった工藤駿は、漫画やアニメ・ゲームなど様々な著名IPから、老舗眼鏡屋やクラフトビールまで、ジャンル横断でさまざまなWebサイトを手掛けてきたデザイナーだ。

そんな工藤は7年間のフリーランスを経て、いま“転換点”に立っている。

2026年2月、奇しくもSDA 2025受賞と同月にデザイン会社を設立して法人化。その会社名は二人の息子の名前を冠して「株式会社凪と風」に決めた。

「子どもたちに胸を張れる仕事をしていきたい」という覚悟を社名に刻んだ工藤は、ここ数年間で自身の仕事と人生のバランスを模索し続けてきた。

ひとりのクリエイターとして洗練されたデザインを突き詰めながらも、同時に家族と過ごす時間や想い出を犠牲にしない。そのために神奈川県に戸建てを購入、自宅に事務所を移し、妻と協力しあって子育てできる職住近接の体制を整えた。

また法人化を契機に、これまで培った一人でほとんど全ての工程をこなせる能力を活かしつつ、同時に協業する仲間との縁や信頼関係を紡いでいくことに挑戦したいという。

「一人で作る」から「誰かと作る」へ──キャリア、ひいては人生における転換期を迎えた背景にある覚悟と葛藤を聞くために、工藤の事務所兼自宅を訪れた。

 写真:木製のテーブルの上に、「KOTORI LETTER」と書かれたカードと鳥のイラストのカードが並べて置かれている。

01 / 04

転機を呼んだ“レターセット”
そして地元・秋田の縁

ある日、突然LINEグループが立ち上がった。

なぜか『クレヨンしんちゃん』と名がついたグループ──それが「CRAYON SHINCHAN JAPAN CRAFTS」プロジェクトの始まりだった。

そこまでの経緯を遡る。そのきっかけを呼び寄せたのは、台湾でのとある「出会い」だ。

2018年に独立後、フリーランスになった工藤はWebサイトを中心に、数々の著名IPのプロモーションサイトからブランディング、NFTプロジェクトのWebサイトまで、ジャンルを横断して案件を重ねてきた。

一方で、​​クライアントワークを重ねるかたわら、工藤は自主プロダクトの開発にも取り組んできた。それが、大切な人からもらった言葉をお守りのように持ち歩けるレターセット「KOTORI LETTER」。依頼されてつくる仕事だけではなく、自分自身の名前で世に出せるプロダクトを持ちたいという想いが背後にあったという。

この小さなプロダクトが、思いもよらない展開を引き寄せることになる。台湾発のデザインECプラットフォーム・Pinkoiが主催する「Pinkoi Design Award 2024」でブロンズ賞を受賞したのだ。

「KOTORI LETTERは5年以上続けているプロダクトで、Pinkoiにも3年くらい出展していました。たまたまデザインアワードの募集を見かけて、せっかくだから出してみようと。クライアントのサービスじゃなくて、自分がゼロから作ったプロダクトが海外の人にも評価してもらえるんだっていうのは、すごく嬉しかったことを覚えています」

 写真:グッドパッチのオフィスで、黒いトップスを着た井上さんがテーブル越しに話している様子。奥には栃尾さんの姿が見える。

授賞式に出席するため台湾へ渡った工藤は、秋田出身の友人を誘って同行した。「ひとりで海外に行くのはちょっと不安だから一緒に来てよ」と声をかけたという。

この友人が顔が広い人物だった。台湾に「秋田県人会」の集まりがあると聞きつけ、30人ほどが集まる食事会に2人で顔を出すことになる。

そこで出会ったのが、秋田銀行の子会社である地域商社・詩の国秋田の担当者。工藤のプロダクトやポートフォリオに強い関心を示してくれたこの担当者が、のちに「JAPAN CRAFTS」のプロジェクトを動かしていくキーパーソンだった。

そして工藤が台湾から帰国してしばらくすると、あのLINEグループが立ち上がった。コロナ禍以降、しばらく途絶えていた地元・秋田とゆかりのある仕事。自ら作ったプロダクトがきっかけとなり、期せずして機会が訪れた。

 写真:テーブルの上で、手に持った『クレヨンしんちゃん』デザインラベル(父親・野原ひろしと秋田の大曲の花火を組み合わせたデザイン)の瓶が手前にあり、背景にも複数のボトルが並んでいる。

02 / 04

国民的IPと伝統産業
その間をデザインする

だが、なぜクレヨンしんちゃんと伝統工芸なのか──工藤がプロジェクトに参画した出発点では、その問いにまだ誰も答えを持っていなかった。


「JAPAN CRAFTS」の背景には『クレヨンしんちゃん』アニメ30周年を記念して始まった「家族都市」プロジェクトがある。

しんちゃんの家族にゆかりのある秋田県・埼玉県・熊本県の三県が協定を結び、観光交流促進として田んぼアートやラッピング列車、ご当地コラボ商品など、さまざまな取り組みを展開してきた。「JAPAN CRAFTS」はこの枠組みをさらに拡大して、三県の伝統産業としんちゃんを掛け合わせた新ブランドとして構想された企画だ。

しかし工藤が参画した当初、三県の地域資源を活用する方向性はあったが、それをどんなブランドとしてまとめるかは、まだきちんと詰められている状態ではなかった。

秋田の伝統産業をしんちゃんというIPとどう組み合わせれば、単なるキャラクターグッズにも、単なる工芸品にもならない新しいものが作れるのか。工藤の仕事は詩の国秋田の担当者と双葉社とともに、その問いに形を与えることだった。

「なぜクレヨンしんちゃんと伝統工芸を結びつけるのか。プロジェクト全体の指針となるコンセプトから整理する必要がありました。そこを関係者間で詰めていくプロセスが、いま振り返るといちばん大変だったかもしれません」

 写真:扉越しに、椅子に座った工藤さんが笑顔を見せている様子が見える。

コンセプトやネーミングが固まってからは、工藤が中心となってブランドの"目に見える形"を作り上げていった。

「伝統的なものの良さは活かしながらも、“古く見せないこと”を意識していました。文字はかっちりと組むことで、ブランドとしての品格を保つ。

そのうえで、写真やカラーリングには軽やかさを持たせて、自然な佇まいにする。そのバランスを重視することで、上品さもあり、親しみのある表現ができたのではないかと思っています」

サイト構築にStudioを採用した決め手について、工藤は商品数が増えてもクライアント側で更新できる操作性と“広がり”の可能性を挙げた。

「このプロジェクトでは、実際に商品を売らなければなりません。なので、サイトを作って終わりではなく『いかに多くの人に届けるか』が重要でした。Webサイト単体で認知が広がるケースはほとんどありません。

その点、StudioにはアワードやShowcaseなど、クオリティの高いサイトを取り上げてくれる仕組みがある。いいものを作れば、Studioを通じてより広く届く可能性があると考えたんです」

こうして作り上げたサイトが「Studio Design Award 2025 Bronze Award」に輝く。

「既存のIPデザインの枠に収まらない新しいアプローチ」が特に評価されての受賞だった。

 写真:柔らかい光の中で、ぼかされた前景越しに工藤さんの横顔が見える室内の様子。

03 / 04

後戻りできないプレッシャーを背負う。
30代の選択と覚悟

工藤がここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。

デザイナーとしてのキャリアを歩み始めたのは、静岡の大学から上京して新卒入社した、雑誌やムックを手がけるエディトリアルデザインの事務所だった。『デザインノート』のエディトリアル特集に掲載されるほど業界ではよく知られた会社で、デザイナーとしての基礎体力はここで叩き込まれた。

「編集者から戻ってくるゲラの赤字がとにかく多くて。紙で出力して、修正して、また出力する。その繰り返しのなかで、一つでも漏れがあれば注意される。入稿直前に誤植を出してしまったことも二回ありました。二回目のときはさすがに『この仕事向いてないんじゃないか……』と本気で思ったのを覚えています」

だがデザイナーとして鍛え上げられた一方で、目の当たりにしたのはクリエイティブ業界の働き方の厳しさだった。

長時間労働が当たり前の環境で、仕事と家庭の両立に苦労している人の姿を目にすることもあった。「いつか自分も家庭を持ったとき、どうしたらいいんだろうか」という漠然とした問いは、のちにクリエイターとしての働き方を見つめ直すきっかけになっていく。

約2年半で退職し、フリーランスを経て、ブランディングやソーシャルデザインに強いデザイン会社へ。社会的意義を考える企画の上流から関わる仕事の面白さを知り、再び独立したのが2018年。以降7年間、さまざまな案件で腕を磨き続けてきた。

「今回の『JAPAN CRAFTS』もそうでしたが、出発点の部分からクライアントと一緒に考えていけるほうが、そのプロジェクトに自分ごととして向き合える感覚があって。そのことに気づけたのは、あのとき転職したからこそだと感じています」

振り返ると、節目にはいつも「退路を断つ」選択があった。エディトリアルの厳しい現場を離れたこと。安定した会社員の立場を手放して二度目の独立に踏み切ったこと。そして、子どもが生まれたこと。

独立後はコワーキングスペースを借りて仕事をしていた時期もあったが、第二子の誕生をきっかけに家を購入。自宅に拠点を移した。妻も個人事業主として自宅で仕事をしており、夫婦それぞれの仕事と子育てを、同じ屋根の下で両立させるスタイルを選んでいる。

 写真:ソファに座る家族のそばで、工藤さんが子どもを見守っているリビングの様子。

「時間に限りがある分、とにかく集中して終わらせる。朝は5時に起きて、家族が起きる前に仕事を始めます。夕方以降は基本的に手を止める。業務量は減っていないのですが、作るもののクオリティは絶対に落とさない意識だけは常に持っています」

フリーランスだから、働き方は自分で決められる。やれると信じて、自分にそう言い聞かせてきた。制約があるからこそ集中できる──その感覚は、最初のエディトリアル会社で追い込まれた日々の延長線上にあるのかもしれない。

子どもが生まれたことで変わったのは、時間の使い方だけではない。SDA 2025の授賞式当日、たまたま隣の席に座ったNEWTOWN代表でデザイナーの犬飼崇から、こう声をかけられた。

「工藤さんが作っているサイト、最近なんだか変わりましたよね。すごく良いと思います。お子さんが生まれたこと、関係あるんですかね」──。

子どもが生まれる以前、工藤の作品はシンプルで風通しのよいトーンが中心だった。それが近年の実績を見ると、ポップで遊び心のある表現が増えている。犬飼との会話をきっかけに、自身の変化に気づいたという。

 写真:リビングの床に敷かれたプレイマットの上で、工藤さんのお子さんがおもちゃで遊んでいる。背後にはベビーゲートで囲われたテレビ周りがある。

「たとえばNHK Eテレの『デザインあ』。もちろん番組のことは知っていましたが、子どもが生まれるまで真剣に観たことはなかったんです。

実際に観るようになると、これが本当に面白くて。子どもが楽しみながら学べるように、映像もタイポグラフィも丁寧に設計されていて、クオリティがすごく高いんですよね。そうした日々のインプットの変化が、自分の作るものの温度感にも、自ずと影響を与えているのかもしれません」

約7年間にわたるフリーランスでの活動を経て、2026年2月、自身の誕生日に会社を設立した。株式会社凪と風。社名には、二人の息子の名前が刻まれている。

「凪には『平和』、風には『前に進む力』といった意味が込められています。穏やかさと推進力、どちらも大事にしながら仕事をしていきたいと考え、会社名にしました」

 写真:室内の棚のそばで、工藤さんの小さいお子さんが知育玩具に触れて遊んでいる。周囲にはおもちゃ箱やベビーゲートが見える。

とはいえ、子どもの名前を会社に冠する選択には不安もあったという。

「子どもの名前を傷つけてしまうリスクもあると、何度も頭をよぎりました。でも、子どもの名前を背負うからこそ、子どもに誇れる仕事をしなければという覚悟が生まれる。良い意味で後戻りしないための“プレッシャー”を、あえて自分にかけたいと考えたんです」

そして実際に、覚悟を決めてみると気持ちは明確に変わった。

「法人化したら、やっぱり前だけ見るようになるんですよね。以前は気持ちが揺らぐこともありましたけど、今はほとんどなくて。やると決めたらそう思えるものなんだなって」

35歳。秋田を出て、上京して、厳しい現場で鍛えられ、二度の独立を経て、家族を持ち、子どもの名前を背負って法人化した。30代は選ばざるを得ない。何を手放し、何を守るか。その選択のしんどさ、そして面白さの両方を引き受けながら、工藤はここまで来た。

 写真:コンクリートの地面に、植物の葉の影が日差しによって揺れながら映っている。

04 / 04

一人の景色から
みんなの景色へ

こうして選択と実績を積み上げてきた工藤だが、裏側にはずっと抱えてきた感情がある。

「アワードを取っても、一緒に喜び合える仲間がいないんですよね。ありがたいことに色々な賞をいただけるようになったものの、分かち合う人がいないことが少し寂しくて。Xでたまに、チームのみんなで盛り上がっている様子を見ると、いいなって思うんです。

子どもが生まれてからはイベントや飲み会にも顔を出しづらくなって、年に数えるくらいしか新しい人に出会えていなくて」

ほぼすべてを一人でこなしてきたからこそ得られた実力がある。同時に、一人だからこそ抱え続けてきた孤独がある。

「JAPAN CRAFTS」への参画は、その孤独に風穴を開ける体験でもあった。同プロジェクトでは、台湾に同行した秋田の友人がTシャツやグッズの製造を担い、IP関連の経験が豊富なもう一人の友人も加わった。それぞれの得意領域を持ち寄り、一つのブランドを立ち上げる。一人の力では難しかったことが、チームだからこそ形になった。

またStudio Design Award 2025の授賞式でも、Studioのコミュニティに集まるクリエイターたちの姿に刺激を受けたという。

 写真:窓際の棚に、デザイン賞のトロフィーや雑貨、小さな観葉植物が並べられている。中央にはStudio Design Award 2025のBronze Awardの表彰盾。

「Studioを使っている人たちは、互いの作品を応援し合っている空気があります。先輩にあたるクリエイターの方々が、チームで連携しながらいいものを作っている。そういう姿勢や動き方に、年々憧れの気持ちが大きくなっていて。今後は自分から、そうした輪のなかに飛び込んでいきたいです」

法人化を経て、工藤はその「輪」を自分でも作り始めようとしている。最近、かつて同じ制作会社にいた同期のデザイナー二人が、相次いで工藤の住む近辺に引っ越してきた。どちらも独立して活動しており、同じ年頃の子どもを育ててもいる。家庭と仕事のバランスに悩みながらも、いいものを作りたいという気持ちは共通している。

「僕はWebやブランディングの仕事が中心ですが、もちろんクリエイティブの仕事はそれだけではありません。グラフィックやパッケージ、プロダクトのデザインなど、自分一人ではカバーしきれない領域がたくさんある。そういう部分が得意な人たちが、実はすぐそばにいるんです。独立して活動する仲間同士が、必要なときにチームのような形で力を合わせられる関係性を作れないか。その可能性を模索していきたいと考えています」

一人ですべてを抱え込むのではなく、信頼できる人と分かち合いながらものづくりを続けていく──工藤にとっての法人化はゴールではなく、新たな景色を見るための出発点だ。

「これまで通り、目の前のものづくりに対する努力は惜しみません。そのうえで、もう少し視野を広げて、いろんな人たちと一緒に何かを作ることにチャレンジしていきたい。

もちろん、家庭とのバランスを取りながら成果を出すことも、自分にとっては大きなテーマであり続けます。

なにより、凪と風の名前を背負った以上、一つでも多く、子どもたちに胸を張れる仕事をしていきたいです」

 写真:窓からの自然光が差し込む室内。工藤さんがデスクに座り、横向きで前方を見ている。背後の棚にはサボテンなどの鉢植えや本、小物が並んでいる。

baigie inc.

工藤 駿(Shun Kudo)
Art Director / Graphic Designer

1991年秋田県北秋田市生まれ。 静岡の大学でデザインに興味を持ち、卒業後上京してエディトリアルデザインの事務所にてデザイン制作の基礎を学ぶ。その後、NOSIGNER株式会社にてソーシャルデザインやブランディングを中心としたデザイン戦略の経験を積み、2018年よりフリーランスへ。 現在は言葉をお守りにするサービス「KOTORI」など、自身でプロダクトの制作を行いつつ、世の中の意義ある取り組みや、秋田を中心とした地方のデザインに活動の重きを置いている。2026年、株式会社凪と風を設立。

ポートフォリオサイト:https://kudoshun.me/

制作したWebサイトを見る

別タブで開く

Editorial Team

Interview & Writing by Kurimura Tomohiro
Content Editing by Ishida Tetsuhiro, Hayashida Mika
Photography by Tano Eichi

さあ、今すぐStudioを始めよう。

無料ではじめる