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自分と仲間と、その未来のために―― STUDIOで「最適解」を導く

Interview & Text by Koki Hakoda, Photography & Videography by Enda (Familect)

Re:design Head Office @ Nasu-Shiobara, Tochigi

"クライアント、働く環境、スキル、キャリア。すべてを良くしたいなら、すべての制作会社はSTUDIOを使ったほうがいい。"

渡辺 祐樹

YUKI WATANABE

"クライアント、働く環境、スキル、キャリア。すべてを良くしたいなら、すべての制作会社はSTUDIOを使ったほうがいい。"

渡辺 祐樹

"クライアント、働く環境、スキル、キャリア。すべてを良くしたいなら、すべての制作会社はSTUDIOを使ったほうがいい。"

渡辺 祐樹

YUKI WATANABE

東北新幹線、那須塩原駅前。 畑と住宅がひろがる先に、モダンな白いキューブ上の建物があらわれる。 そこがWeb制作会社Re:design(アールイー・デザイン)のオフィスだ。 同社はこの地で栃木県内はもちろん、首都圏を中心とした全国にクライアントを持ち、顧客満足度の高いWebサイトを作り続けている。 ファウンダーの渡辺祐樹は言う。 「『関わるすべての人をファンにする』のが僕らのバリューですからね。また、だからこそ、この場所を選び、STUDIOを選んだんですよ」。 どういうことなのか? 白いキューブの中でうかがった。

「地方だから…」はウソでしかない。

SNSで見かけたこんな言葉に、渡辺祐樹は強く抗ったことがある。
『地方はWebのリテラシーが低い。自分たちがそれを変えたい』。

地方を“少し下”に見た表現が、しっくりこなかったからだ。

「違うな、と僕は感じた。今は地方でもWebに関してリテラシーもスキルも高い人がめちゃくちゃいる。もちろん低い人もいますが、それはどこでも同じですからね。とくにコロナ禍でリモートワークが常態化して、どこにいても仕事ができるようになった。『首都圏だから』『地方だから』って、もう関係ないですよ」

確信に満ちているのは、自身が14年前に栃木県那須塩原の地でWeb制作会社『Re:Design』を創設。全国のクライアントに向けて、高いレベルのWebサイト制作を続けているためだ。

『サイトをリニューアルするならRe:designにずっと頼みたいと思っていた』
『沖縄の会社だが、ぜひサイトづくりをお願いしたい』
実際、こうしたオーダーが相次ぐ。

指名の理由は掲げたビジョン『すべての問題の最適解をデザインする』に集約される。

すばらしいサービスやプロダクトを持っていながら、埋もれている企業や組織は多いものだ。それら課題を、最適なデザインによって解決するのが、渡辺とRe:designの真骨頂であるからだ。

「なぜWebサイトをつくるのか」
「どうして、そのイメージでつくりたいのか」
丁寧なヒアリングで、クライアントのインサイトを掘り起こす。

「そう来たか」と驚くようなアウトプットにつなげる。それでいてロジカルに課題を解決する芯を食ったデザインを世に出す。

たとえば、株式会社PLAYWORKのコーポレートサイト。住宅不動産・リフォームを柱の事業に展開している同社からのオーダーは「社員紹介をキャラクター紹介のように見せたい」だった。

「『なぜですか?』『どんな思いが?』と聞くと、会社のビジョン、『遊び働く世界を作る』がありました。遊ぶように働くなら冒険の旅みたいなものだよね? と考えた」

少し懐かしい粗いドットのロールプレイングゲーム(RPG)風のデザインを提案した。社長以下社員をあらわすキャラクターを縦スクロールさせると、トコトコと一列に歩いて「News」や「About」「Service」などの各ページにたどり着くしくみだ。

「もっと先まで進みたい」と誘引、ごく自然にPLAYWORKの事業を知るようになる。声高に叫ぶより、「遊び心ある会社」であることが、ずっと自然に伝わるわけだ。

「好評でした。遊ぶように働く世界をどう表現するか、伝えるか難しさを感じていらっしゃったけれど、何よりも言い表せたと」

Re:designのValueは「Make a fan」。訳すなら「関わるすべての人を自分たちのファンにする」だ。このサイトで、また大勢のファンを増やした。

それにしても、どうして那須塩原で事業をしているのか。渡辺の故郷であるのが理由のひとつ。それとつながって、もうひとつ理由があった。

「『死ぬなら栃木がいい』。そう思ったからです」

言語化できないデザインは、誤りがある。

大学卒業後、一度は渋谷のデザイン会社で働いていた。

2000年代前半くらい。朝も昼も夜も、いつもPhotoshopばかり触る生活をしていた。

仕事は楽しかったが、急かされるように時間が流れる都会が嫌になった。満員電車もなく、穏やかな人がにこやかに過ごす那須塩原。そんな環境でハッピーな気持ちでMacに向かったほうが、アウトプットの質も高まる。そう考えていたからだ。

そして2008年に今の場所に『Re:design』を立ち上げた。最初は就職も考えたが、Webデザインを手掛ける会社が地元にはなかった。「それなら創ろう」との結論に至る。

「社名のRe:designは、お客様の課題に『デザインでお答えする』のが仕事だと考えて付けた。Reply(リプライ=返事)の意味で、デザインに『Re:』を置いたんです」

名は体を表す。

クライアントの課題に丁寧に迫り、解決する。先に述べた今のスタイルは、当初から一貫してあった。「なぜ?」「どうして?」としつこいくらいにヒアリングしてインサイトに迫るのも当時からだ。

「なんとなく」のデザインを許さない。

「もともと数学好きなんです。ロジックがはっきりしていて、答えが必ずあるから。デザインでも『なぜこのケイがこの長さなのか』『どうしてこの青を選んだのか』。言語化できないデザインは間違っているか、考えが浅いと思っている。だから今もデザイナーから初稿があがってきたときは、『なぜこうしたの?』『どうして、このフォントを?』と質問攻めにします(笑)」

理詰めの考え抜いた「解決策」を真摯に提示する。この仕事ぶりが評価されて、『Re:design』は多くのクライアントに支持された。だから、営業職をひとりも置かず、すべてWebや紹介で取引を増やしている。

もっとも、依頼が増えすぎて「受けきれない」と断る歯がゆさを抱えていた。だから3年ほど前から積極的に社員を増やした。なるべく多くの期待に応え、多くの課題を解決したい。そんな思いがあったからだ。

「自分たちのデザインの力が活かして、なるべく自分たちを求めてくれる方々のお手伝いがしたい。少しでも手助けできるならば力を貸したい。そういった情熱は強いほうだと思います」

情熱の延長線上に『STUDIO』があった。

STUDIOはデザイナーをクリエイターにする。

2022年からRe:designと渡辺が始めた新しいチャレンジがある。

「デザインの寄付活動」だ。

Webサイト、ロゴ、パンフ、プロモーションといった同社が普段手掛ける制作物を、寄付の形で手掛ける活動。サーバーとドメイン代、印刷代などの実費はもらうが、自社で手を動かす領域は無料で請け負う。

「多くの方が僕らのデザインの力を頼ってくれる一方で、NPOなどの組織の中には『Webでもっと多くの方に活動を伝えたい』『本当はRe:designに頼みたい』と思いつつ、資金面で実現できない方々も少なくない。年に何度か、素晴らしい活動をされているNPOと出会い、『ぜひWebなどでお手伝いをしたい』と打ち合わせも進むのですが、見積もり段階でお話が流れることが多々あったんです」

ならば、自分たちのスキルを寄付したらどうか?と渡辺は動いた。やれることからやっていこうと、デザインの寄付をスタートする旨を自社サイトで告知。自身のTwitterで発信すると、翌日にDMが入ったという。

「STUDIOのスタッフKさんでした。聞けば、彼も那須塩原に住んでいて、すぐ近くでリモートワークしていた(笑)。そして『寄付活動に賛同する。できれば協賛させてくれないか』と、話が進んで。実は『STUDIO』の名は知っていたが、それまで実際に触れたことはなかった。「いい機会だ」と『STUDIO』をはじめて触ると、「本当に驚いたし、ハマった」と明かす。

「あ、コレ、全部ひとりで作れちゃうじゃん。すごい! って。デザイナーがラフを書くように簡単にコーディングまでできる。本当に声が出たのを覚えています」

渡辺が、ことさら驚いたのは、自身がそれまで『分業主義こそ正義』と考えていたからだろう。

デザインはデザイナーが。
コーディングはコーダーが。

特化したワザを持つプロフェッショナルが、連携しあってWebサイトをつくったほうが効率的で質も高まると思っていた。

「でもSTUDIOを使った瞬間、鞍替え。分業主義を全否定しています(笑)。コーディングも簡単にできるし、デザインも感覚的にやりたい意匠が難なく形づくれる。ひとりのデザイナーにデザインもコーディングもディレクションも一気通貫にできるなら、絶対的にいいものづくりができる。余計なコミュニケーションコストも省けるし、コンセプトもずれることなく形にできますからね」

実際、この出会いをきっかけに、Re:designはSTUDIOをメインツールとして採用。分業主義を捨て去り、1人がデザインからコーディングまですべてこなす「STUDIO主義」へと変わった。導入から驚くほど短い期間で、STUDIOパートナーにもなった。

こうしてRe:designのデザインで答えを出すアウトプットは、さらに磨きがかかった。先にあげたRPG風のWebサイトもSTUDIOでつくったもの。デザイナーの狙いを、クライアントの思いを、一気通貫に形にした結果だ。

「最適解だった」

もっとも、STUDIOを導入した最も大きなメリットはまた別にあったという。

ひとつは、スタッフのキャリアアップだ。

これまでコーダーに任せきっていたデザイナーが、STUDIOを使うようになってから実装を考えて安易なデザインをしないようになった。コーディング後のサイトの見え方、動きをより意識してデザインを提案するデザイナーが増えたのだ。

「無料の代わりに、ある程度自由にクリエイティブをやらせてほしい」との条件で請け負う、デザインの寄付活動の存在も大きい。

いずれにしてもSTUDIOがあったからこそ、の結果だ。

「単純なスキルアップではなくて、いちクリエイターとして深みを増して、伸びに伸びはじめている。一人ひとりの仕事の深みと幅がひろがっているのを実感しています」

もうひとつは、新たなビジネスモデルの創出だ。

「いまサブスクリプション型のWeb制作を準備しています。クライアントには、初期費用を抑えた定額で受託制作と同じ品質のWebサイトの制作と運用をご提供できる。僕らは経営が安定して、何よりやはりスタッフも安心して働ける。ハッピーにね」

Make a fan(関わる人すべてをファンにする)――。

バリューにある、「関わる人」には、当然、スタッフも入る。もとよりクライアントにファンになってもらうような仕事をするには、それを手掛けるスタッフがハッピーでいなければなし得ないからだ。

「クライアント、働く環境、スキル、キャリア。すべてを良くしたいなら、すべての制作会社はSTUDIOを使ったほうがいいですよ。めちゃくちゃ普及してほしい。けれど、みんな気づかないでいてくれって思いも少しある(笑)。それくらい、すばらしいツール」

14年前、Webデザインを手掛ける会社がなかった地で。

14人に増えたスタッフに囲まれた渡辺が、いかにもハッピーな笑顔で、言った。

彼らのハッピーを、STUDIOが下支えする。

最適解として。

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渡辺 祐樹

YUKI WATANABE

1982年生まれ。建築系の大学在学時からWEBのインタラクティブな表現の面白さに魅せられ独学でWEB制作をはじめる。 卒業後、デザイナーとして都内制作会社勤務。2008年7月に独立し、故郷である栃木県那須塩原市にてRe:designを創業。 主にプロジェクトマネージメント、アートディレクション、デザインを担当。 インディーズデビュー経験もある元バンドマンでベーシスト。平日はジムってサウナ、休日はゴルフするのが何よりの幸せ。

https://www.re-d.jp

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